恋の勝負は負けられない!
〜番外編〜




「はぁ〜……、どうしよう。マジで緊張してるよ」
 白い手袋をはめた和巳の小さな手のひらは、目に見えて痙攣していた。
 応援団コンクールの楽屋で、“イベント・プロデュース・クラブ”のメンバーは三人とも、ステージ衣装で控えている。彼らの出番はこの次。
 リーダーの天童とサブリーダーの折原、そして和巳は真っ白な学ラン姿。折原の斜め後ろでは、華道部の中路が影のようにたたずんでいる。
「去年、初めて出場したときのほうが、まだ余裕だったよな……」
 楽屋入りしてからずっと、和巳は泣き言ばかり繰り返していた。この日のために練習は充分やってきたし、演舞の完成度も高い。勝つ自信はある。
 それでもやはり不安なのは、優勝候補とされている今大会、どうしても負けるわけにはいかない、というプレッシャーがあったからだ。
「和巳ちゃん、安心しなって。俺がついてるだろー」
 天童は相変わらずのウェブヘアーに、ナンパな笑みを張りつけ、和巳の肩を抱きよせる。おまえがそばにいるから、余計にあがっちゃうんじゃないかっ! と怒鳴りたいところだけど、周りに会場関係者がいる手前ぐっとこらえる。

あれ、どうしたのかな? いつもなら手握っただけで怒るのに」
 な、和巳? と抵抗しないのをいいことに、天童はより和巳の小さい体を胸に抱きとめた。中路は素知らぬ様子で見て見ぬふりをしている。折原は美人顔をゆがめて、けっ、と床に吐き捨てていた。
和巳にとって天童は恋人であり、男として負けたくないライバルでもある。
 同じデザインの衣装も、天童なら外国映画に登場する王子様なのに、和巳だとデビューしたばかりの子供アイドル。その落差が腹立たしい。
「ホントどうしたんだ? ビビってるかと思えば、急に黙りこんじゃってさ。どっか具合でも悪い?
 トイレいってくる?」
 普段は調子のいいことばっか言って飄々としている天童も、基本的に恋人思いでとても優しい男。心配してくれているのは嬉しいのだけど、三十センチも高い位置から見下ろされると、意地を張りたくなるのが和巳だ。
「べつに、なんでもねーよっ!」
「だったらほら、もっと元気出しなよ。それとも俺に立ち位置センター取られちゃったこと、まだ根に持ってるのか?」
 明るい笑顔で痛いところをつかれ、とたんに和巳は反骨心を増幅させて、
「そうだよっ! ぜってえ、てめぇより目立ってやるからなっ!! 」
 ビシッ、と人差し指を突きつけ、敵でもない相手に宣戦布告してしまう。
「うんうん、いいねえ〜。それでこそ、俺の和巳だよ〜。」
「うっ! く、苦しいぃ〜。天童ー、離せよぉー。俺を殺す気かぁ〜」
 二回り以上も大きい体で全身を締め上げられ、和巳はじたばたと暴れる。係員がいなくなった楽屋で、熱い抱擁をしつこく繰り返すふたりを、折原と中路は白い目で見ていた。
「バカたちが。そんなにイチャイチャしてぇかよっ!」
 誰が見ても女性としか思えない中世的美貌の持ち主は、お得意の毒舌でふたりの世界を築いている恋人たちをののしった。
「なんだよ。そんなにうらやましいなら、おまえも中路に抱っこしてもらいな」
「はぁっ!?  誰がうらやましいだって !? ふざけんじゃねえ!」
 折原は激昂して天童の胸ぐらを掴み上げる。
「友音、天童は放っておけ。いちいち反応するな」
 中路が怪獣並みに乱暴な、折原のストッパー役を務めているのは、幼なじみとしてだからではなく、顔に似合わずあわい初恋を抱いているからだ。
「おまえに言われるまでもなく、相手になんかするかっ!」
 折原はぷいっと尖ったあごを上げ、天童から手を離した。素直じゃないのはこっちも同じで、中路は眉間にしわをよせ嘆息する。
「可愛いねぇ〜」
 どちらからもまだ、『好きだ』の一言が言えないウブな友人たち。そんな彼らをからかうことが、和巳を愛でる二番目に天童の楽しみなのだ。
「おい、彰也、いまなんか言ったか」
「うん? だから、友音は和巳ちゃんの次に可愛いって――」
 天童が言い終わらないうちに、折原は懲りずにスゴんだ顔を突きつける。
「てめぇの目は飾りか? 俺をチビなんかと一緒にするんじゃねえ!」
「な……っ! なにぃ〜っ、チビだとぉ〜〜〜〜」
 矛先が自分に向けられたことで、今度は和巳が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「だから、俺のことチビチビ言うなって言ってんだろっ!」
「チビをチビだと言ってなにが悪い。それともおまえは巨人かよ?」
 ぐっと、和巳は返す言葉につまった。百六十に届かない身長は、平均値を大幅に下回っている。たしかに小さいことは男らしく認めよう。だけど――。
「俺は小さな巨人なんだよっ!」
 楽屋内がし〜んとしたかと思いきや、ぷっと噴き出す声とともに、天童が腹を抱えて爆笑した。それを横目で見ながら、折原は呆れ果てて告げる。
「あのよ……、おまえは天然なのか、モノホンなのか、どっちだ?」
「失礼なヤツだなー。俺はいつだって本気だ。マジだぞ!」
「てめえのそのマジに、どれだけの人間が迷惑してると思ってるんだ。えぇ? 今回の大会だって、俺は好き好んで出場してるわけじゃねえぞ」
 和巳がEPCみんなで同じステージに立ちたいと言い出したことで、折原も無理やりかり出されたのだ。最後の最後まで首を縦に振らなかった折原に、弱味を握っていた天童が脅しをかけ連れてきたのだから、機嫌が悪くて当然。
 でも、和巳には和巳なりの理由があった。文化祭のステージジャックは自分だけ外されていたから、今度こそ部員全員でひとつのことを成し遂げたい。
 ケンカばかりしていても、俺たちはもう仲間なのだから、という非常に和巳らしいセンチメンタリズムがあって、それは口が裂けても言えない。
「そんなの俺が知るかよ。おまえ幽霊部員なんだから、少しは活躍してクラブに貢献しろっての」
「あぁ? 誰に向かってそんな偉そうなこと言ってやがんだぁ〜? アホ面下げてるあの男とあわせて、東京湾に沈めっぞ!」
 折原に指摘を受けても、天童はまだ鼻の下を伸ばして傍観していた。
「できるもんなら、やってみろよ!」
「上等じゃね〜かっ。この、くそガキがっ!」
 顔を突き合わせてうるさく口論するふたりの傍で、中路はただうなだれる。
「また始まったか……」
 和巳と折原は顔を合わす度にケンカをしている。見た目的にはいわゆる犬猿の仲ってヤツなのだけど、本当に気が合わないわけではないだろう。
 根が硬派なところは両者とも同じだから、つまりは似たもの同士。遠慮がなく嘘がつけない、という結果である。そのことは天童も中路も認めている。
 けれど出会い頭に、和巳をぶん殴って気絶させた前科が折原にはあるので、その点を懸念して部員でない中路も、楽屋入りしているのだった。
 本番前に乱闘になって、大会が台なしになったのでは和巳がかわいそうだし、もちろん口には出さないが折原のことも心配だから。
「まぁまぁ、もうふたりとも戯れ合うのはそれぐらいでいいだろう?」
 天童が殴り合う一歩手前の折原と和巳の間に割って入る。
「誰が戯れてるって?」
 素早く折原が振り返って一睨み。それに和巳も続く。
「そうだよ。ひとりだけノンキなこと言うなっつーの」
「そもそも、てめぇが全部悪い」
「そうだ、そうだ」
 なぜだか意気投合して責め立てられ、天童はあれ? っと頭をひねった。
「なんで? 俺が悪いのか?」
 和巳と折原はぴったり口をそろえて、
「おまえが悪の根源だっ!」
 とひたいに青筋をたてて怒鳴っていた。
「ふたりともさぁ〜、そんなカッカするなよ。血圧上がって体によくないって」
「そうさせているのは、いったい誰なんだよっ!」
 折原に口では勝てなかったので、かわりに当り散らすと天童はものともせず笑顔で近寄ってきた。
「俺が和巳を怒らせてるって言うわけ?」
「そうじゃないか……」
 じりじりと詰め寄られた和巳は、我知らず後退していた。不敵な笑みを口角に滲ませている天童が、なにかを企んでいるのは一目瞭然だ。
「それじゃあ、最後まで責任とってあげないとね、ちゃんと」
「な、なんの?」
「怒らせてしまったのなら、喜ばせてあげなきゃ。どうよ? 正論だろ」
 正論なのか? と和巳が頭の中で思考を巡らせているうちに、気がついたら壁に追いつめられ、天童の長い腕で逃げられないように囲われていた。
 たまにしか見せない、光り輝く天童の真剣な瞳が、和巳は苦手だ。その熱い目で見つめられると、すぐにドキドキして、目を合わせていられなくなる。
「和巳がイラついてんのは、緊張してるせいだからだろ?」
「まあ……、そうかもしれないよ」
「去年はぜんぜんそんなふうに見えなかったのにな」
「今年は去年とは状況が違うじゃないか」
「それは優勝がかかってるから? それとも俺と一緒のステージだから?」
「それは――」
 和巳は答えられなくてうつむく。正直なところ、優勝旗が欲しいから負けたくないのではなく、
天童の笑顔を見たいから勝ちたいのだ。
 中路は折原の腕を引き、見つめ合っているふたりを残して、カーテンの陰に身を隠す。彼なりの気遣いだったけれど、折原はおもしろくない顔をしていた。
 とりあえず中路についていき、カーテンの端からこっそり盗み見る。天童は唇が触れあいそうなぐらい顔を近づけ、和巳にささやいた。
「俺はね、優勝なんてどうでもいいんだ。和巳と同じステージに立てるだけで、幸せだよ。和巳はそうじゃない?」
 俺も、と言いたいところだけど、そんな恥ずかしいセリフ、男として簡単に口にはできない。天童がなんでもかんでも、軽く言い過ぎなのだ。
「なぁ、和巳。ちゃんと俺を見て。ホントのことを言って」
 あごに指がかかり、上向かせられる。和巳が上目遣いでおずおずと天童を見て、口を開こうとした矢先に、柔らかい唇で塞がれた。
「……んっ」
 食むように優しく啄んで、すぐに天童の唇は離れていく。その突然のキス一回で和巳の心はすでに甘くとろけていた。
「さあ言ってごらんよ。緊張してんのもイラついてんのも、怒ってるのも、俺を好きなせいだって」
 だから俺が悪いんだろ? と勝手な解釈をされ、それは違うぞと反論する前に、ふたたび口を覆われ舌まで絡め取られた。
「や、やめ……、天童」
 強引まではいかないけど拒むことも許さない深いキス。和巳はたまらず天童の胸を押しやった。
「待てって。こんなとこで――」
「リラックスする方法だよ」
「バカ! こんなことでリラックスできるかっ。余計に……」
「余計に、なに? 興奮した?」
 揚げ足を取られてしまい、和巳は悔しい思いで歯ぎしりする。
「こんなことしてる場合じゃないだろ。もうすぐ俺らの出番なんだし」
「だから景気づけだよ。もう一回だけ。ね?」
 天童は和巳を引き寄せ、無理やりに唇を奪おうとする。
「やめろって! は、離せよ!」
 迫ってくる天童から、必死で身をよじって抵抗しまくる和巳。それでも天童の腕力にはとうてい適わなくて、あっさり唇を吸われてしまう。
「――んっん、」
 天童の肩を両手で思いきり叩くが、びくともしない。楽屋の真ん中で、暑苦しいキスを交わす二人を尻目に、折原は憤っていた。眉間を引きつらせている。
「ヤツら調子にのりやがって……。目障りだってのがわかんねえのかっ!」
 我慢の限界に達した折原は、カーテンの陰から飛び出し、ふたりに殴りかかっていく。とっさに中路もあとを追いかけた。
「友音、待て! 落ち着け!」
 接着剤でくっつけられたようなふたりを、折原が引き離そうとした瞬間、
「うわあぁ〜〜〜っ! で、出たっ!!」
 和巳が大声を張り上げた。
「あぁ!?  人のことゾンビみたいに言いやがって、なめてんのかっ!」
「ち、違う違う。折原のことじゃないよ〜」
「なにが出たって?」
 ようやく天童の腕から解放されて、和巳は慌てて天井を仰ぎ鼻をつまんだ。
「出たのは鼻血! 鼻血だよぉ〜〜〜〜っ」
「そっか鼻血ね。あっ、和巳ちゃん、服に血がついてる」
 和巳の真っ白な学ランの胸もとに、赤い大きな染みがたくさん散っている。
「だぁぁっ!! どうすんだよ、替えの服なんてないんだぞ! 天童が余計なことするから、こんなことになるんじゃないか!」
 すると天童は非常事態にもかかわらず、悠然とした笑みを浮かべて宣った。
「大丈夫。安心しな。こんなこともあろうかと、べつの衣装も用意してあるから」
「そうなのか?」
 和巳は鼻をつまんだまま、少なからず感心した。
「さあ、早くこれに着替えて」
 まるで最初から着せるつもりで置いてあったような素早さで、天童はそのコスチュームを衣装箱から取り出した。
「そ、それは……」
 天童が和巳の目の前に掲げたのは、同じ白い礼服は礼服でも、なんと純白のウェディングドレスだったのだ。
「ちょっと、型が決めにくいかもしれないけど、和巳にならとても似合うよ。」
「――ちょっと、だとぉ〜……」
 硬直した体でうつむき、握った拳をぷるぷると震わせていた和巳は、とうとうキレて右ストレートを天童の頬に放った。
「っざけんじゃねえぇぇぇ――っ!!」
 みごとに一発をくらった天童は床に転がり、涙目で冗談なのにと、わびていたが、やはり顔はニヤついていて、まったく反省の色がない。
「もう、今度という今度はおまえに嫌気がさしたよ」
 和巳が楽屋から出ていこうとすると、さすがに天童も顔色を変えた。
「待てよ、和巳。大会を棄権するつもりか? さっきのはホントに冗談だから。着替えの学ランはちゃんとあるんだって!」
 ふざけすぎたよゴメン、と天童は珍しくうろたえてすがりついてきた。その慌てぶりがおかしくて、和巳はつい苦笑してしまったが、
「知ぃ〜らない」
 と、わざと意地悪くムシしてやる。
「和巳ちゃん、今夜サービスするから。ね?」
「そんなHなサービスはいらねぇもん」
「そんなこと言わないでさぁ〜」
 和巳は内心で、勝ったな、と肩を震わせてほくそ笑んだのだった。

 そのあとは言わずと知れたこと。
ステージの上で優勝旗を手にした和巳に、熱烈な抱擁を捧げ、天童は再び殴り倒されるのだけど、それもご愛嬌。二人は幸せ絶頂期のど真ん中に、立っているのだから。


――fin――




閉じる

inserted by FC2 system