お仕事ください! 番外ショート
〜漢たちのトリビア〜




「おい勘吉、こっちへ来やがれ」
 花火大会が終わり事務所に帰ってきた中田を、黒川はソファでふんぞり返ったまま呼びつける。
「へ…へえ、なんですかい」
 不穏な気配を読み取ったのか、中田は揉み手をしながら近づき、気味の悪い薄笑いを浮かべている。並びの悪い歯には、青のりがべったり貼りついている。
 黒川の口元がひくつくのを藤咲は見逃さなかった。
「てめえ〜、イカ焼きだけでは飽き足らず、タコ焼きまで食ったのか」
「おっ、よくぞご存知で、さっすが若頭! なんでもお見通しじゃないですかい〜」
「俺様を誰だと思ってやがる。まさか、ベビーカステラまで食ったとは言わせねえぞ」
 中田はぽかんと口を開けた。食べたのだろう。
「そんなことよりも、おい、これはなんだ」
 テーブルの上に開いたままの、現金出納長のノートを持ち上げて、中田の鼻先に突きつける。
「へえ、 のしいかではないようですが……」
「はァん? バカ野郎。これがのしいかだったら太郎もびっくりだ。俺が訊ぃてんのは、コレだコレ。ここに描かれてるもんはなんだと訊いてる」
 顔色を赤黒くした黒川は、怒りを抑えて紙面の角を指差す。落書きしたパラパラ漫画を覗き込んだ中田は、不思議そうな顔で目を丸くした。
「おや、若頭は知らねえですかい? 『おっでかけですか〜レレレのレ〜』のおじさんですぜ」
「うっせえ! そんなこたぁ見りゃわかる! どうしてレレレのジジイを書きやがった!」
 中田はチチチッと顔の前で人さし指を振りながら、
「ジジイじゃなくておじさん――」
 続く言葉は怒りの鉄拳で封じられた。顔に正拳突きをくらった中田は、そのまま真後ろに倒れる。
「いい度胸だ。てめえをあの世のジジイにしてやる」
「まあまあ、黒川さん、落ち着いて」
 いつものかけ合いを微笑ましく見守っていた藤咲は、頃合を見計らって茶のおかわりを机に置く。
「中田さんも悪気があったわけじゃないと思います。ちょっとした悪戯描きのつもりが、つい止まらなくなって、パラパラ漫画になっちゃったんですよ」
「そうなんでえ、ついパラパラと」
 打たれ強い中田は、鼻を押さえたままニッと笑う。
「それにほら、見てください! とても上手ですから。こんな才能が中田さんにあったなんて、すごいですよ〜。おじさんの足やほうきの動き方なんて絶妙で、何度も見たくなっちゃいます」
 ノートの角を藤咲が指先でめくっていくと、本物そっくりのレレレのおじさんが、竹ぼうきをシャカシャカと巧みに動かして、足元を掃いている。
「そこが、一番苦労したところでえ」
 帳簿を覗き込んで、ふたりは楽しそうにきゃっきゃっと声をあげている。明るい笑顔で見入っている藤咲に、黒川は面白くなさそうに顔をしかめる。
「…ったく、嬉しそうなツラしやがって。たかが子供だましのパラパラ漫画じゃねえか。そんくらい、俺だって描いてやる」
「ほんとですか?」
 慌てて振り返り、見たい見たい、と藤咲がねだると、黒川はややばつが悪そうに眉間を寄せた。
 黒川が悲しいほど絵が下手であることは、誰もが知っている。
 以前、チラシの裏に描いたドラえもんが、どう見てもほおかぶりをしている泥棒にしか見えず、失笑した星野が、全治一週間のケガを負ったが、藤咲は嫌味で言ってるのではなかった。
「僕、黒川さんの描く、うなぎいぬが見たいなぁ〜」
 純粋なる好奇心からだったが、黒川は憮然とした態度で、「土用の丑の日がきたらな」と焦らした。
「ところでてめえらは、レレレのジジイが、どうしていつもほうきで掃いてるのか知ってんのかよ」
「えっ、なにか深い理由があるんですか?」
「そうか、知らねえか」
 いささか機嫌がよくなった黒川は、しょうがねえからバカどもに教えてやるわと、胸を張った。
「いいか、レレレのジジイには子供が二十五人いてな、それも五つ子が五組だ」
「いやぁ〜、それは子宝に恵まれましたなあ。おいらも会ったことのないガキが三人はいますぜ」
「てめえは黙ってろ」
 懲りずに話に水をさす中田を、黒川が一喝する。
「それで、掃除ばかりしてたんですか?」
 わくわくした顔で藤咲が続きを催促すると、黒川は満足そうに不敵な笑みを滲ませた。
「家ン中にガキが二十五人もいてみろ。足の踏み場もねえ。そこでだ、ほうきで掃いて退かしてたんだ」
「なるほど、そりゃあ便利だ」
「ガキは大人になり、ひとりまたひとり家を出ていく。しまいには誰もいなくなったが、それでもほうきで掃く癖はなおらず、今も掃き続けてるってわけだ」
 その場がしんと静まり返る。
 知られざる意外なエピソードに、藤咲は「じゃあ」と目を輝かせて身を乗り出した。
「レレレのおじさんにお孫さんは何人いるんですか?」
「はあ?」
「二十五人のお子さんたちはみんな巣立って、結婚されたりしてますよね。お孫さんも、きっとすごく多いですよ。五つ子もいたりしますかね?」
「そんなことまで俺が知るかっ!」
「ええ〜っ、そこ重要なのに〜。今度は孫を掃くために、練習してるのかもしれないじゃないですか」
「……」
 黒川は一瞬、真顔になり考え込む。
「やっぱ坊主はマヌケだな。ひとり、子ふたりと仮定して、単純計算で五十人。まっ、軽く五十人はいるでえ」
「わーっ、五十人もお孫さんが! すごい数ですよね〜。ギネスに載るんじゃないですか」
 苦虫を噛み潰したような顔で、藤咲たちの会話を聞いていた黒川が、ぼそっと言う。
「あのよ、今のはそういうオチだったか」
「……えーと、違いましたっけ?」
 黒川は厚い肩をがくりと下げると、大きなため息をついた。
「好きにしやがれ」
 黒川印刷は今日も平和だ。


――END――




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